韓国と日本は、なぜ「近くて遠い」のだろう?ㅣ 東京で10年暮らして感じた「情」と「気遣い」の違い

 

韓国と日本の生活文化や人との距離感、情と気遣いの違い

韓国と日本。

飛行機に乗れば、わずか数時間で行き来できる距離です。

街を歩けば、どこか似ている風景もあります。

食卓にはご飯と汁物が並び、箸を使い、年長者を大切にする文化もあります。

それなのに、実際に暮らしてみると、

「似ているようで、やっぱり少し違う。」

そう感じる場面が何度もありました。

私は1990年代から約10年間、東京で暮らしました。

旅行者として日本を訪れたのではなく、仕事をし、結婚生活を送り、子どもが生まれ、日々の暮らしを経験しました。

だから私にとって日本は、単なる「外国」ではありません。

韓国と比べながら驚いたこともあり、日本から学んだこともあり、ときには理解できず戸惑ったこともありました。

30年以上が過ぎた今、カナダで暮らしながら振り返ってみると、その違いの中にこそ、韓国と日本がお互いを理解するヒントがあるように思います。


最初に驚いたのは、「静けさ」でした

東京で生活を始めた頃、まず印象に残ったのは、人々の静かな振る舞いでした。

駅では列に並ぶ。

電車の中では大きな声を控える。

約束の時間を守る。

ゴミを細かく分別する。

もちろん、すべての日本人が同じというわけではありません。

それでも、私が当時暮らしていた東京では、こうした小さなルールを多くの人が自然に守っているように感じました。

最初は少し不思議でした。

韓国で育った私には、もう少し声を出し、感情を表現し、人と直接関わることのほうが馴染みがあったからです。

しかし長く暮らすうちに、少しずつ見え方が変わりました。

静かにすることも、相手への配慮の一つなのかもしれない。

自分が快適であることだけでなく、隣にいる知らない人も不快にさせない。

日本の日常には、そんな距離感があるように感じました。


東京の日常で感じた静けさや人との距離、さりげない気遣い



韓国の「情」と、日本の「気遣い」

一方、韓国で人と人との関係を語るとき、よく使われる言葉があります。

**「情(정/ジョン)」**です。

日本語に一語で置き換えるのは難しい言葉です。

長く付き合ううちに生まれる親しさ。

困っている人を放っておけない気持ち。

食べ物があれば「一緒に食べよう」と声をかけること。

相手のことに少し深く入り込みながらも、それを温かさとして感じる関係。

私自身、韓国で育ちながら、そんな人間関係をたくさん経験してきました。

日本で暮らしていると、それとは少し違う優しさに出会うことがありました。

相手が必要以上に気を遣わなくて済むようにする。

無理に事情を聞かない。

自分の気持ちを強く押しつけない。

必要なときには静かに助ける。

私には、それが日本的な「気遣い」の一つに見えました。

どちらが優れているという話ではありません。

人を大切にする方法が、少し違う。

私はそう感じています。


韓国の情と日本の気遣いに見る人を大切にする文化の違い



同じ言葉でも、伝え方が違うことがある

外国で暮らしていると、辞書だけでは分からないことに出会います。

その一つが、人とのコミュニケーションです。

韓国では、親しい相手なら率直に意見を言うことがあります。

心配だからこそ、

「それ、大丈夫?」

「こうしたほうがいいんじゃない?」

と、相手の生活に一歩踏み込むこともあります。

それが親しさとして受け取られる場合があります。

一方、日本で生活していた頃には、相手の領域に必要以上に入り込まないことが、むしろ思いやりになる場面を何度も経験しました。

その違いを知らないと、

韓国側は、

「どうして本音を言ってくれないのだろう」

と思うかもしれません。

日本側は、

「どうしてそこまで聞くのだろう」

と感じるかもしれません。

でも、どちらも相手を嫌っているとは限りません。

文化が違えば、やさしさの表現方法も違う。

そう考えるようになってから、私はずいぶん楽になりました。


韓国と日本で異なるコミュニケーションや人との距離感を表現した文化比較



違いを知ると、「なぜ?」が「なるほど」に変わる

異文化の中で暮らしていると、自分の常識が世界の常識ではないことに気づきます。

最初は、

「なぜ、こうするのだろう?」

と思います。

でも、その社会で長く暮らしていると、

「なるほど、こういう理由があったのかもしれない」

と思える瞬間が増えてきます。

これは日本だけの話ではありません。

現在暮らしているカナダでも、同じ経験をしています。

韓国では自然だったこと。

日本で学んだこと。

カナダに来て初めて気づいたこと。

三つの国で暮らしてみると、どの社会にも良いところがあり、同時に少し窮屈に感じるところもあります。

だから最近は、国を比べるときに、

「どの国が一番いいのか」

という見方をあまりしなくなりました。

それよりも、

「なぜ、この社会ではこういう暮らし方になったのだろう?」

と考えるほうが面白いと思うようになりました。


政治の距離と、人の距離は同じではない

韓国と日本の関係を語ると、どうしても歴史や政治、外交の話が出てきます。

それらは決して軽く扱える問題ではありません。

しかし、国家と国家の関係だけで、そこに暮らす一人ひとりの関係まで説明できるわけでもありません。

東京で出会った日本の友人たち。

韓国の食や文化を楽しむ日本の人たち。

日本を旅行し、食や温泉、街歩きを楽しむ韓国の人たち。

ニュースの中の日韓関係とは少し違う風景が、日常にはあります。

だから私は、

政治の距離と、人の心の距離は必ずしも同じではない

と思っています。

相手の文化を知る。

食べてみる。

訪れてみる。

話してみる。

そんな小さな経験の積み重ねが、

ニュースだけでは分からない隣国の姿を見せてくれるのではないでしょうか。


政治や外交を越えて文化や日常を通じてつながる韓国と日本の人々



「近くて遠い国」から、「違いを知りたい国」へ

日本で暮らし始めた頃、私は日本を「近くて遠い国」だと感じていました。

地理的には近い。

文化にも似ているところがある。

それなのに、暮らしてみると意外なほど違う。

でも10年間生活して分かったのは、

違うから遠いのではなく、知らないから遠く感じることもある

ということでした。

相手を自分と同じだと思えば、違いに戸惑います。

でも、

「少し違うのが当たり前」

と思えば、その違いそのものが興味深くなります。

韓国の「情」。

日本の「気遣い」。

表現の仕方は違っても、人を大切にしたいという気持ちは、それほど遠くないのかもしれません。


三つの国で暮らしたから、見えるもの

私は韓国で生まれ、日本で約10年暮らし、現在はカナダで生活しています。

一つの国にいた頃には、その国の暮らし方が「普通」だと思っていました。

でも場所を変えるたびに、その普通が少しずつ揺さぶられました。

日本に住んだから韓国が見えた。

カナダに住んだから、日本の良さにも改めて気づいた。

そして韓国、日本、カナダを行き来する今だからこそ、三つの社会を少し離れた場所から見ることができます。

このブログではこれからも、

どの国が優れているかを決めるためではなく、それぞれの暮らしから何を学べるのか

という視点で、三つの国について書いていきたいと思っています。

もしかすると、それが私にできる小さな「架け橋」なのかもしれません。


For You Plus Alpha

韓国、日本、そして現在暮らしているカナダ。

三つの国で経験してきた暮らしや文化、健康、ウェルビーイング、お金、そして人生について、自分自身の経験を交えながら発信しています。


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