ひとりでいるのは楽。でも、孤独は嫌。 年齢とともに「ひとり」が心地よくなる理由と、健やかな孤独のつくり
予定がなくなって、少しほっとする日 楽しみにしていたはずの予定がキャンセルになったのに、なぜか残念というより、ほっとした。 そんな経験はないでしょうか。 「今日は家でゆっくりしよう」 そう思った瞬間、少し肩の力が抜ける。 誰かと会うために服を選び、時間を気にしながら出かけ、会話を楽しむ。それはそれで素敵な時間です。 でも、ときには何の予定もない一日がうれしく感じられることもあります。 コーヒーを淹れて窓の外を眺めたり、好きな音楽を聴いたり、気が向いたら散歩に出たり。 誰かに合わせなくてもいい。 話したくなければ、無理に話さなくてもいい。 年齢を重ねるにつれて、そんな時間が以前より心地よく感じられるようになりました。 ところが、不思議なものです。 何日も電話が鳴らず、メッセージも届かない日が続くと、今度は心のどこかが少し寂しくなる。 ひとりでいたい。でも、孤独にはなりたくない。 この二つの気持ちは、矛盾しているのでしょうか。 人の中で過ごした時間から、「自分に戻る時間」へ 若い頃は、ひとりになりたくても、なかなかなれませんでした。 仕事では人と関わり、家に帰れば家族がいて、週末には予定や付き合いが入る。 むしろ、 「誰にも邪魔されず、一日くらい何もしないで過ごしたい」 そんなふうに思うことのほうが多かったように思います。 ところが年月が流れ、子どもが成長し、仕事から少しずつ離れ、暮らしのスピードがゆるやかになってくると、あれほど欲しかった「ひとりの時間」が自然と増えていきます。 最初は、とても自由です。 でも、その自由が長くなると、ときどきこんな問いが浮かんできます。 私は今、ひとりの時間を楽しんでいるのだろうか。 それとも、少しずつ社会から離れているのだろうか。 「ひとり」と「寂しい」は、同じではありません ひとりで食事をしているからといって、寂しいとは限りません。 ひとり旅を楽しむ人もいますし、週末に誰とも会わず家で過ごすことが、何よりの休息になる人もいます。 むしろ長い間、人に合わせながら暮らしてきた人にとっては、誰にも気を遣わなくていい時間が心を整える休息になることもあるでしょう。 お気に入りのカフェでひとりコーヒーを飲む。 目的を決めずに歩く。 読みたかった本を開く。 音楽を聴きながら、ぼんやり窓の外を眺める。 誰かから見れば「ひとりで寂しそう」に映るかもし...