1989年、新宿で初めて見た日本のコンビニ ㅣ 30年以上経った今だからこそ分かった、その本当の価値

 

小さな店が、私には「未来」に見えました

1989年、私は韓国から日本へ留学し、東京・新宿で新しい生活を始めました。

初めて見る街並み、聞き慣れない日本語、そして夜遅くまで明るく営業している小さなお店。

それが、日本のコンビニでした。

当時の韓国では、コンビニはまだ一般的な存在ではありませんでした。

24時間営業というだけでも驚きでしたが、店内には食べ物や飲み物だけでなく、日用品や雑誌まで整然と並び、いつ訪れても同じ品質のサービスが受けられることに感動したのを今でも覚えています。

当時の私は、「なんて便利な国なんだろう」と素直に思いました。

しかし30年以上経った今、その時の驚きの本当の理由は、便利さだけではなかったことに気づきます。


コンビニは「店」ではなく、暮らしの一部だった

日本で暮らしているうちに、コンビニは単なる買い物をする場所ではないことが分かってきました。

朝はコーヒーを買う人。

昼はお弁当を選ぶ会社員。

夜は仕事帰りに立ち寄る人。

誰かの一日の中に、ごく自然にコンビニが存在していました。

その後、宅配便の受付、公共料金の支払い、ATM、各種チケットの発券など、生活を支えるさまざまなサービスが充実していきました。

現在では店舗によって衣類や生活雑貨まで取り扱い、災害時には地域を支える拠点としての役割も期待されています。

小さな店舗でありながら、暮らしを支えるインフラへと進化してきたのです。



「便利」よりも印象に残ったこと

私が最も印象に残ったのは、サービスそのものではありません。

「相手の時間を大切にする」という考え方でした。

レジで長く待たせない工夫。

見つけやすく整理された商品。

いつ訪れても変わらない接客。

派手ではありませんが、一つひとつの積み重ねが利用する人の時間と気持ちを大切にしているように感じました。

日本には「改善(かいぜん)」という考え方があります。

少しずつでもより良くしていく姿勢は、製造業だけでなく、コンビニのような身近な場所にも息づいているように思います。



小さな住まいと、大きな安心感

東京で暮らし始めた頃、住まいは決して広くありませんでした。

韓国では当時、「うさぎ小屋」という表現を耳にすることもありました。

最初は窮屈に感じたこともあります。

しかし生活を続けるうちに考え方が変わりました。

家を一歩出れば、駅があり、公園があり、そしていつでも利用できるコンビニがある。

街全体が生活を支えてくれているような安心感がありました。

住まいの広さだけでは測れない暮らしやすさが、日本にはあると感じました。



外国人だった私が学んだこと

日本で約10年間暮らした私が学んだのは、「便利さ」は結果であり、その背景には人への配慮があるということでした。

相手の時間を大切にする。

困らないように準備しておく。

当たり前のことを当たり前に続ける。

その積み重ねが、日本のコンビニを世界でも評価される存在にしたのではないでしょうか。



おわりに

30年以上前、新宿で初めて入った一軒のコンビニ。

当時は未来のように見えたその場所も、今では日本の日常になっています。

けれど、私の記憶に残っているのは設備や商品ではありません。

人の暮らしを少しでも便利にしたい。

相手の時間を大切にしたい。

そんな思いやりが、静かに積み重ねられていることでした。

外国人として日本で暮らした10年間。

私にとってコンビニは、買い物をする場所ではなく、日本という国の価値観を教えてくれた「小さな教室」だったのかもしれません。


次回予告😍

『日本で10年間暮らして気づいたこと
長寿を支えているのは、食事だけではありませんでした』

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